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第22話 由美子の記憶

last update publish date: 2026-08-16 19:00:13

かすみとのやり取りから数日、篤は再び現地に足を運んだ。プロジェクトの進捗確認という名目はあったが、本当の理由は自分でもわかっていた。有紗に会いたい、そして、あの夜以来どこかぎこちなくなった空気を、なんとかしたかった。

けれど店に着くと、有紗は仕入れのため朝から市場に出ていて留守だった。代わりに顔を出したのは、退院してからすっかり顔色の良くなった由美子だった。

「あら、桐生さん。有紗なら、もう少しで戻ると思うけど」

「あ、いえ、お邪魔でなければ、少し外でお待ちしても」

「何言ってるの、上がって。お茶淹れるから」

断る間もなく、篤は店の奥の居間に通された。由美子は慣れた手つきで湯呑みを二つ用意し、篤の前に座った。杖はもう使っていないようだったが、動きにはまだ少し慎重さが残っている。

「体調、良さそうで安心しました」

「おかげさまで。あなたたちが会いに来てくれるようになって
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  • 十年後の初恋   第59話(最終話) 数ヶ月後

    商店街のアーケードに、新しい看板が掲げられたのは、桜が散り始めた頃だった。 〈フルール商店街 リノベーションプロジェクト 第一期完成〉 半年前まで空き店舗だった一角には、木の温もりを活かした小さな工房やカフェが並んでいる。古い建物の骨組みを活かしながら、新しい息吹を吹き込んだ空間は、当初案とはまったく違う表情を見せていた。 「有紗さん、花、届きました!」 健太が台車を押しながら、フルール・アリサの店先にやってきた。花屋も、リノベーションの一環で少し店構えを新しくしていた。大きなガラス窓から差し込む光が、店内の花々を鮮やかに照らしている。 「ありがとう、健太くん。すっかり、頼れる大工さんね」 「まだ見習いですけどね」 健太は照れくさそうに笑いながら、花の箱を運び入れた。あの模型作りをきっかけに、健太は本格的に大工の道を目指し始めていた。 店の奥では、朋子が新しいプロジェクトの収支報告書をまとめている。乾物屋の主人は、リノベーションされた店先で、常連客と楽しそうに話し込んでいた。 「有紗ちゃん、今度の夏祭り、うちの店も出店枠もらえるかい」 「もちろんです。楽しみにしていてください」 商店街には、以前よりも多くの人通りが戻っていた。地元のフリーペーパーに載った沙織の記事がきっかけで、近隣の街からも「あの再開発の商店街」として、若い世代の客が訪れるようになっていた。 昼過ぎ、篤が工事現場の視察を終えて店に顔を出した。設計事務所を辞め、この春から独立して、商店街のプロジェクトを専属で手がけるようになっていた。 「現場、順調か」 「うん、第二期の工事も、来月には始まるって」 「かすみからLINEが来てたよ。今度、視察がてら遊びに来たいって」 「うん、私にも連絡来てた。楽しみにしてる」

  • 十年後の初恋   第58話 歩み寄り

    かすみが地元の駅に降り立ったのは、報告会から一週間後のことだった。 有紗は店の前でかすみを待っていた。会うのは、あの夏、かすみが現地を訪れて以来だった。あのときのかすみは、静かな覚悟を纏いながらも、どこか痛みを堪えているように見えた。今、目の前に立つかすみは、あのときとは違う、澄んだ表情をしていた。 「お忙しいところ、ありがとうございます」 かすみが丁寧に頭を下げた。 「いえ、こちらこそ。中で、お茶でも」 店の奥の小さな休憩スペースに、二人は向かい合って座った。有紗が淹れたお茶からは、湯気がゆっくりと立ち上っていた。 「対案、採用されて本当によかったです」 「かすみさんの企画も、力になったって篤くんから聞きました。住民の声を可視化する企画……」 「いえ、あれは私が自分のためにやったことです」 かすみは静かに首を振った。 「広報担当として、会社のやり方に、ずっと違和感を持っていました。篤くんのことがあってもなくても、いつかは声を上げていたと思います。ただ……」 かすみは、お茶を一口飲んでから続けた。 「篤くんのおかげで、その違和感に、ちゃんと向き合う勇気をもらえたのは事実です」 有紗は黙って、かすみの言葉に耳を傾けた。 「今日、伺ったのは、きちんとご挨拶をしたかったからです」 かすみは背筋を伸ばし、有紗をまっすぐに見た。 「篤くんのこと、大事にしてあげてください」 その言葉に、有紗は胸が締め付けられるのを感じた。 「かすみさん……」 「正直に言うと、悔しくなかったと言えば嘘になります。でも、篤くんが本当に大切にしたいものが何なのか、現地に来て、皆さんの様子を見て、よく分かりました」

  • 十年後の初恋   第57話 報告

    東京から地元に戻る新幹線の中、有紗はスマートフォンで沙織にメッセージを送った。 〈採決、通った。対案でいくことになった〉 返信は、驚くほど早く届いた。 〈は!? 本当に!? みんなに伝えていい!?〉 〈うん、お願い〉 窓の外を流れる景色を眺めながら、有紗は隣に座る篤の横顔をちらりと見た。篤は資料を整理しながらも、時折こちらに視線を向けては、照れたように目を逸らしていた。 「明日、商店街のみんなに報告会をしようと思う」 「俺も行っていいか」 「当たり前でしょ。責任者なんだから」 駅に着くと、改札の外に沙織が待っていた。有紗の姿を見つけるなり、駆け寄って抱きついてくる。 「やった……! 本当に、やったね!」 「沙織のおかげだよ。ずっと支えてくれて」 「何言ってんの。これは有紗が、自分の足で掴んだことだよ」 沙織は篤にも気づき、少し意地悪な笑みを浮かべた。 「桐生くんも、お疲れ様。……で? 二人の関係は、結局どうなったわけ?」 有紗と篤は、顔を見合わせて赤くなった。沙織はそれだけで察したらしく、満足そうに頷いた。 「まあ、聞かなくても分かるけどね」 翌日、対案本部には商店街の人々が集まっていた。乾物屋の主人、雑貨屋の女将、健太、朋子、そして由美子も杖をついて顔を出していた。 「報告があります」 有紗が前に立つと、部屋の空気が張り詰めた。 「昨日、東京の役員会で、私たちの対案が正式に採用されることが決まりました」 一瞬の静寂のあと、部屋中から歓声が上がった。健太が模型を抱きしめ、朋子は目に涙を浮かべ、乾物屋の主人は隣の雑貨屋の女将

  • 十年後の初恋   第56話 答え

    役員たちの間で、小さく言葉が交わされる。篤には、その内容までは聞き取れなかった。ただ、心臓が痛いほど脈打っているのが分かった。 専務が、テーブルの端から順に視線を送っていく。一人、また一人と、小さな頷きが返っていく。 「反対の方は」 専務の問いに、手を挙げた役員は二人だけだった。当初案に強くこだわっていた古参の役員たちだ。だが、その他の役員たちは誰も手を挙げなかった。 「賛成多数、と見ていいだろう」 専務がそう言った瞬間、篤は自分の手が震えていることに気づいた。隣で、有紗が小さく息を呑む音が聞こえた。 「ただし」 専務は続けた。 「条件がある。工期とコストについては、改めて詳細な計画書を提出すること。それから──」 専務は篤と有紗を交互に見た。 「住民側の窓口として、早坂さん、あなたにも正式に協力してもらいたい。この案は、会社だけでも、住民だけでも、成立しないものだ。両方が手を取り合って初めて形になる」 「……はい。喜んで」 有紗の声は、わずかに震えていた。 「桐生」 「はい」 「この案の責任者は、引き続き君に任せる。今度こそ、最後までやり遂げろ」 「ありがとうございます」 篤は深く頭を下げた。隣で、有紗も同じように頭を下げているのが分かった。 会議室を出ると、廊下の窓から差し込む光が、いつもより眩しく感じられた。 「終わった……のか」 篤がぽつりと呟くと、有紗が隣で小さく笑った。 「終わったんじゃないよ。これから、始まるの」 その言葉に、篤ははっとした。 「そ

  • 十年後の初恋   第55話 役員会

    翌朝、篤は緊張した面持ちで会議室のドアの前に立っていた。隣には、いつもの仕事着ではなく、きちんとしたスーツに身を包んだ有紗がいる。 「大丈夫。落ち着いてる」 「篤くんのほうが、顔強張ってるよ」 有紗が小さく笑うと、篤の肩から少しだけ力が抜けた。 「行くぞ」 ドアを開けると、長いテーブルの奥に役員たちが並んでいた。中村も末席に座っている。三田が篤に小さく頷いてみせた。 「本日は、貴重なお時間をいただき、ありがとうございます」 篤が切り出した。プロジェクターに、これまでまとめてきた資料が映し出される。当初案と対案の比較、収支の試算、補助金の活用、そして住民の合意形成にかかる見込み期間。 一人の役員が口を開いた。 「数字は分かった。だが、当初案より工期が延びる。その分のコストは、誰が負担するんだ」 「その点については……」 篤が答えかけたところで、有紗が一歩前に出た。 「よろしければ、私からもお話しさせてください」 役員たちの視線が有紗に集まった。 「私は、対象区域で花屋を営んでいる早坂と申します。住民代表として、この場に立たせていただきました」 有紗は資料を持つ手に、ぐっと力を込めた。 「商店街には、五十年、六十年と店を続けてきた方々がいます。その人たちにとって、店は単なる商売の場所じゃありません。生きてきた証そのものです」 会議室が静まり返った。 「当初案では、その証が一度、跡形もなく消えてしまいます。私たちが提案する対案は、時間もお金も、当初案よりかかるかもしれません。でも、そこに住んできた人たちの暮らしと記憶を、次の世代に繋いでいくことができます」 一人の年配の役員が、眉をひそめ

  • 十年後の初恋   第54話 東京へ

    役員会の日程が決まったのは、それから五日後のことだった。 有紗は前夜、店の棚卸しを済ませ、沙織に留守を頼んだ。 「本当に、一人で行くの?」 「うん。これは、私が自分の言葉で伝えなきゃいけないことだから」 沙織は少し不満そうな顔をしたが、やがて肩をすくめた。 「まあ、あんたがそう決めたなら、止めない。由美子さんのことは任せて」 「ありがとう、沙織」 由美子は、有紗が東京行きを告げたとき、思いのほかあっさりと頷いた。 「行ってらっしゃい。今度は、ちゃんと自分の足で追いかけるのね」 「お母さん……」 「十年前、あんたを止めたのは私だった。今度は、私が背中を押す番」 由美子はそう言って、有紗の手を握った。節くれだったけれど温かい手だった。 新幹線の中で、有紗は鞄の中の資料を何度も確認した。対案の最終稿、住民の署名、そして健太が作った模型の写真をまとめたファイル。商店街のみんなの想いが詰まった一式だった。 東京駅に着くと、篤が改札の前で待っていた。十年前とは違う、けれど確かに見覚えのある立ち姿だった。 「わざわざ、迎えに来てくれたの?」 「当たり前だろ」 篤は有紗の鞄を持とうとして、有紗に軽く払われた。 「これは、私が持っていく。商店街のみんなの想いだから」 篤は苦笑して、手を引っ込めた。 「役員会は、明日の午前中だ」 「うん、聞いてる」 「正直、勝算がどれくらいあるのか、まだ分からない。中村部長は乗り気だが、役員の中には当初案を推す声も根強い」 有紗は篤の横顔を見た。以前より少し痩せたようだった。ここ

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